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2009/07/12

この世に無駄な物は何ひとつと無い!

「この世に要らぬ物は多いいが、何一つとして無駄な物は無い!」

 私の恩師の言葉ではあるが、最近特に実感として理解出来る様になった。古の昔より、社会に害なす輩は多く、近代日本に始まった事では無いが、この世にとってそう言う輩は害こそ多いが、でも無駄には成っていなかったのだ。何の得も無いように見えるが、要らぬ物でも何かの役に立っているのだ。

 例えば、ヤクザなんて殆んどの人はこの世に不要だと思っています。警察もしかり、ヤクザと同様の体質なんですが、一応彼等も役には立っているのです。個人では何の役にも立たないけど、組織力で役立っています。

 また、死刑囚なんかも無駄には成っていなかったのです。確かに要らぬ者たちなのですが、彼等が居る事により、善悪の区別がし易い。罪の大きさが解かる。等々です。

 悪があってこそ、この世の善が判ると言うことですかね。

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コメント

何が「悪」なのかを深く考え始めると、ややこしくなるところもありますが……(^_^;)

例えば、死刑囚にしても、冤罪の可能性が指摘されている例が最近いくつか出てきています。本当に冤罪だとすれば、裁いた側の警察・検察・裁判所が「悪」ということになるわけです。

地球温暖化も、環境破壊を続けるヒトという生き物/寄生虫に対して地球生命が増えすぎた害虫を駆除するために行っている生理的な反応…という見方が出来るかもしれません。

そうしたことも含めた様々な関係が、それぞれの存在に意味を与えるのかもしれませんね。

投稿: TAC | 2009/07/13 22:31

TACさま
 仰せの通りです。この世に生きとし生けるもの全てに意味があると言う事ですね。

投稿: 花形 みつる | 2009/07/14 23:54

1992年の「ゴジラVSモスラ」では、【地球生命】という言葉が出てました。人類の環境破壊によって、もっと遅く目覚めるはずのバトラ(バトル・モスラ)が目覚め、モスラやゴジラと三つ巴で戦う…という展開でしたが、生物同士の相互の繋がりを考えれば、「地球に優しい」という言葉は人間の驕りが感じられます。個人としても、ヒトという種としても、もって謙虚に生きたいものです。…とは言いつつも、欲望についつい心を曇らされることが少なくありませんが……(^_^;)

投稿: TAC | 2009/07/16 00:49

全く同感です。
 地球にやさしいなんて、人間の驕りからくる言葉なんでしょうね。思い上がりも甚だしい。地球の事を考えれば原始時代に戻るか、いっそ人間はこの世から消えた方が良いのかも知れませんね。

投稿: 花形 みつる | 2009/07/16 05:16

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