バイオリン2
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楽器の女王と言えばバイオリンですね。
子供の頃(小学校5年生)からの憧れだったバイオリン!歳を経てブログ仲間の影響を大いに受け、やっとその気になってきた。いつもブログにお邪魔させて頂いてる方の娘さんで、プロのバイオリニストの方がおられ、その人の話を聞いているうちに段々とバイオリンを弾いてみたくなったのだ。
今日ヤフオクでバイオリンの検索、入札など色々とやってみた。例えばストラディバリウスモデルのとか、見れば見るほどに目移りしてくる。
価格も色々で、ウン千円からウン百万円といった具合で、弓だけでも四十八万円といったものがあるのだ。
もし、バイオリンを買うことが出来たら始めてみよう。
このバイオリンがビンテージ物。ドイツ製でアメリカのオハイオ→日本と回ってきたらしい。
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短歌
還暦を迎え、多くの方々の如く始めた短歌だが、短歌の師匠、猫持先生よりお褒めの言葉をいただいた。
60年生きて来た人生で初めて体験する短歌。それは新鮮であった。それまでは客観的にしか見ていなかった短歌だが、今回アクアさまのブログで短歌に遭遇することとなり、これも縁なりと57577の世界に入らせて貰ったのだ。
いつも30分かけて徒歩での通勤。今の時期は汗だくである。その途中でクマ蝉がワシワシと鳴いていたのでカメラに収めた。こんな人間だらけの街にも、蝉は逞しく生きているのだ。
猫持先生から誉めていただいた2首であるが、あくまでも初心者にしてはと言うことである。
「蝉しぐれ梅雨の晴れ間にワシワシと子供輝く夏休みかな」
「眼の前を虫が飛びよる飛蚊症網膜剥離なりたかねえぞ」
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「この世に要らぬ物は多いいが、何一つとして無駄な物は無い!」
私の恩師の言葉ではあるが、最近特に実感として理解出来る様になった。古の昔より、社会に害なす輩は多く、近代日本に始まった事では無いが、この世にとってそう言う輩は害こそ多いが、でも無駄には成っていなかったのだ。何の得も無いように見えるが、要らぬ物でも何かの役に立っているのだ。
例えば、ヤクザなんて殆んどの人はこの世に不要だと思っています。警察もしかり、ヤクザと同様の体質なんですが、一応彼等も役には立っているのです。個人では何の役にも立たないけど、組織力で役立っています。
また、死刑囚なんかも無駄には成っていなかったのです。確かに要らぬ者たちなのですが、彼等が居る事により、善悪の区別がし易い。罪の大きさが解かる。等々です。
悪があってこそ、この世の善が判ると言うことですかね。
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因と縁との和合によって世界は出来た!
この世にある物質すべて、山も木も石ころも、人間も、何もかもが、仏様が見い出されたところの「因と縁との和合」によって産み出されるのであります。それ以外のものは何もありえません。
いくら私は仏を信じないと言っている方でも、やはり因と縁との和合によって出てきたのですから、この法則を理解する事が大切です。
私たちが人間として出てくる前、お母さんの子宮に入るずっと前は、純粋世界に住んでいました。まったくの純粋でした。
それが因と縁との和合により、人間としてこの世に生まれ出る宿命を持ち、生まれ出る時に、いくつかの要素が集結して、個体となってこの実体を持つ世界へ出現することになりましたが、この実体を持つ世界にも法則がありまして、この実体社会には完全なものはなくて、必ず何か欠点を持っているのであります。(中略)そして色々な要素の中で、肝心な働きをする二つの意識体があります。
ひとつは人間の根源にあたるー「悟り」が潜むところのー「純粋意識」、もうひとつは、あらゆる欲望から成り立つところの「我意識」です。
この二つの意識が、私たち人間の生き方を作って行くのです。
我意識にとらわれていると成仏できない
「純粋意識」は先ほど述べましたように、その人の精神の向上によって、少しずつしか(残念なことですが)表われてまいりません。
この世では主に、この厄介な「我意識」が働きます。この我意識は千差万別で、我々の姿形が違うのもこのためです。あらゆる欲望に満ちあふれ、いくらたっても満足する事ができません。
楽しく感じたり、また人を憎んだり、うらやむことも、この世に物質が作られて出てくることも、また色々な争い事の絶え間が無いのも、皆この我意識の考え方から産み出されてまいります。
人間がこの世に生存するかぎり延々とつづく欲望の世界、なんとも怖い世界です。恐いのはあの世の霊よりも、むしろ生きた人間にあるのです。(恩師・神沢龍動著「そっと教える悟りの本」より抜粋)
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「要らぬものは多いいが、この世に無駄な物は何一つと無い。」
と、私のお師匠様によく言われた言葉である。成る程と思わされる事がよくある。上げれば限がないが、例えば893(極道?)なんか世間から見れば何の役にも立たないが、彼等も一応無駄にはなっていないのだ。少なくともチンピラの粛正には貢献しているのだろうか?と疑問は残りつつもやはり「百害あって一利無し」と思うのは私だけかな?・・・煙草と同じじゃん。
最近のニュースなんか見ると極悪非道な輩が多いいけど、何とかならないものだろうか?「極道とは極悪非道」のこと、それとも「男の道」、「人の道」のことだろうか???余りにもチンケな輩が多いいので一寸チョッカイ出したくなる。特に大阪は「腐れ極道」が多過ぎる。
極悪非道と言えば、中国、イスラエル、北朝鮮がすぐに思い浮かぶ私だが、子供達だけには危害を加えて欲しくない。
「大人の傲慢な欲望の犠牲になるのはいつも純粋無垢な子供たちなのです。」
「見栄や貪欲」を捨て、「我意識」のままに進まなければきっと世界は平和でしょう。
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子供って本当に可愛いですね。
今日久しぶりに教習生(女性)のお子さん(11月で満2歳の男の子)を抱っこさせて貰った。人見知りしない子で、降ろそうとしても私にしっかりしがみつき、まったく降りようとしません。仕方なくお母さんに降ろして貰いましたが、その折お母さんに冗談まじりで、「この子私に下さい!」と言ったら、「困ります。」と言われた。当り前のことですが、実のところ半分は真面目な気持ちでした。つかのもの間でしたが幼子を抱けてとても幸せな気持ちになる事が出来ました。思わず、約4年前保育園に努めていた頃の事が頭の中を過ぎりました。あの子たちどうしてるかなあ?
子供って純真で無垢。そしてあどけない表情には実しやかに心が癒されます。仏様と言うか天使ですね。もし私に子や孫がいたらもうメロメロでしょう?
同僚に、「あんたってほんまに子供好きやねえ。母性本能があるんとちゃうかなあ。」と言われたので、「私は性同一性障害ですか?」と言ったら大笑いになっちゃった。
保育園時代を思い出し、園児たち写真の一枚を貼っておきます。
ちなみに写真を撮ってる保育士(幼稚園教諭)の女の子は元卒園児:祥子ちゃんです。
こちらの保育士(幼稚園教諭)の女の子は同じく元卒園児:美穂ちゃんです。
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突然ですが、あなたは生まれ変われるとしたらまたこの世に生れ出たいですか?それも人間に・・・・・・しかし、人は生まれ変わる度に前世の悪業を引きずって生まれてくる訳で、少なくとも前世のあなたは現在のあなたよりも幸せな人生を送っていたのです。だから、「またこの世に生まれたい。」、「何度でも生まれ変わりたい。」などと言っていたのでは幸せは到底来ない訳なのです。人間に生まれれば良い方で、犬や猫、挙句の果ては魚や虫では洒落になりませんね。この世に変わらぬものは何一つとありません。物体も人の心も変化しますし、宇宙だってどんどん変化しています。特に人の心なんて右や左へ大忙し!恋人同志では大好きになったり、大嫌いになったり大変です。人は「六道輪廻」の中の迷いの世界で苦しんでいます。
この世に本当の幸せはあるのか?自分は何のために生れてきたのか?なんて考え出したら生きてることが不安で堪らなくなりますよね。事故や自殺で死んだら必ず地獄行きだし、成仏なんてありえない。貪欲な色欲人生を送っていたら、来世では犬か猫に生れます。(残念乍と言うか、恥ずかしい限りですが、口の達者なエロ爺が今勤めている職場にも二人程居ます。ちょっとかわいい女の子を見ると見境なく、いかにも親切そうにアタックしています。レベルの高い人はちゃんと見抜いているようですけど・・・)でもご安心下さい。永遠の幸せを掴む方法があるのです。
最近の神社・仏閣は本来の目的から大きく道を逸れ、金銭目的の葬儀や観光地化としており嘆かわしい限りです。でも、幸せを掴む為には仏教の持つ宗教感(思想感)が欠かせないのは確かです。
あなたが幸せになる方法・・・それはまず「我欲」(我意識)を捨てることです。生きとし生けるものに慈愛を注ぎ、命が終わる時は観念し、良い人生だったと思えるようになったら大丈夫です。(ここに本当の葬儀の意味があると思うのですが。)これが「初歩の空」、「守護霊界の解脱」と言い、「聴聞による解脱」とも言います。その為には「純粋意識」を持ち続け、「命の根源」を見つけることなのです。すなわち「大宇宙の真理」を体得するには人として生まれて来た今しか無いのです。「純粋意識」は腹式呼吸をする事によって見い出せます。
「あの世に徳は持って往けるけど、お金や物は持っては往けない。」
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愛の傘?
ここ最近熱帯夜も無くなり、朝夕涼しくなってきてすっかり秋の気配だ。蝉の声も聞こえなくなってきた。そんな今日この頃であるが、夕刻から雨が降り出してきた。仕事を終え帰ろうとした時、教習所の生徒さん(20歳くらいの女の子)が傘を持って無く困っていたので、「この傘を使って下さい。」と私の傘を差し出したら、「この傘後でどうしましょう?」と言われたので、「どうぞご自由に処分して下さい。」と、言わざるを得なかった。![]()
余計な御世話だったのかな?でもまあいいや、少なくとも彼女は雨に濡れずに済んだのだから。それにしても若い子はドライやなあ~![]()
御神楽
夏祭りや盆踊りが終わると、そろそろ秋祭りの季節ですね。秋祭りと言えば、一番最初に思い出すのは御神楽です。子供の頃神楽だなにかぶりつきで見た荒神や俵切りは今でも鮮烈に思い出します。あの頃神楽を舞っていたおじさん達は勇壮で物凄く格好良かった。今でもそう思っている。現在この世に居るかどうかは分からないが、子供心に憧れたものだ。
御神楽には大きく3つの流派があり、伊勢流、御獄流(おんたけ りゅう)、浅草流などがある。まだ他にも色々な流派があるらしい。(写真は大分県豊後大野市三重町の伝統芸能「浅草流松尾神楽」・・・松尾神楽の日記さんより御借りしました。)
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夕立ち
仕事を終え、空を見上げると真っ黒な雲、今にも雨が落ちてきそうな気配だ。持ち帰る傘はあったのだが、でも横着にも傘を持たずに帰途に就いた。夕食の買い物が済み、店の外を見ると土砂降りの雨、稲妻も光っている。時々落雷の音が腹に響く。暫らくの間スーパーの中で雨宿りしてビールを2本開けた。・・・雨が上がったので店を出り、誰も待っていないワンルームへと向かう。するとまた再び土砂降りの雨、仕方なく民家の軒先へ雨宿り。情けないが暫らくの間雨を凌いでいたら、私を見つけた若い女性の方が、「この傘返さなくてもよいから使って下さい。」と、この哀れで見ず知らずの私に真新しい傘を持って来てくれた。感謝の気持ちで一杯。
何と心の優しい人がいるものだと感動した。この大阪に心優しい人がいる。そのことだけで物凄く嬉しくなった。大阪は生き馬の目を抜くところと聞いていた私だったが、大阪に来て約4年、今日ほど嬉しい日は無い。HAPPYな日だ。
会社の女の子とよく会話はするけど、・・・見ず知らずの人間に施しをする。なかなか出来るものではない。傘を貸してくれた人が幸せでありますようにと祈って止まない。
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夢現(夢うつつ)
自律神経失調症で苦しんだ10年前。医者に薬を貰うが全く効かず、3~4年間続いたのだが、あれほど辛いものは無かった。兎に角体が重く、自分の体が自分でコントロール出来ないというか、他人の体を借りた様な違和感。階段を上りたくても手すりを持たなきゃ上れない。立っているのもキツク、すぐに何処でもへたり込む。瞳孔は開っきぱなしで天気の良い日は眩しくて細目になる。睡眠時間は充分に取ってあるのに何時もアクビが出る。まるで夢の中でさ迷っている様な感じ。仕事が終わり車で帰途の途中信号待ちで止まると、いつの間にかそのまま眠っている。クラクションの音で目が覚め、前を見ると車が一台も無く、後ろには車が渋滞してると言う様な事は度々だった。
そんな感覚と言うか、その症状が久しぶりに出たこの一週間だった。でも今回は幸いにも終息にむかっている。自律神経失調症は人それぞれ色々と症状が違い、千差万別である。原因はストレスや更年期障害、癌等色々とあるみたいだが、何れにせよ倦怠感と言うか疲労感は仕事疲れ等の疲労感等問題では無い。それ程辛いものがあるのだ。兎に角力が出ない。早く歩きたくてもやっと一歩足が出るのが精いっぱいなのである。
自律神経の病から鬱病(うつびょう)になる人もいる。医師にとっては定義が出来ない程の難病らしい。
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「この~木何の木気になる木」じゃなく気ですが、あなたは「気」とは何だと思われますか?空気の気、水気の気、電気の気、蒸気の気、寒気、眠気、エトセトラ・・・そうなんです!有ることは解かるけど手で掴めない。それが「気」なんです。
気功の「気」もそれと同じく手で掴むことは出来ないけど、感じる事は出来るものなんです。心を純粋にして素直に受け入れる。この世の出来事は仏様よりの試練を受けさて頂いているのだと言うぐらいの気持ちで、全て仏様(お不動様)にお任せ致します。この気持ちが大事です。そうすれば「純粋意識」(=我欲を捨て、自意識を否定することから始まります。)に目覚め、高度な「気」を感じる取る事が出来るようになるでしょう。その為にはある程度の修行が必要になります。それには「真言密教」の寺院が良いでしょう。一番良いのは「純粋意識」で寺院のご本尊様前で「瞑想」する事をお薦めします。
もし我流で「気」の練習などすればとんでもない事が起こりかねません。現に私は何例か悪霊が憑依したのを見てきましたし、気が抜けてしまった人も体験しています。くれぐれも遊び半分でやらない事を御願い致します。
「恩師の言葉」 懺悔によって自分を変えられる!
人間は想念によって良くもなるし、悪くもなるのである。自分に都合のいいように考える。自分を認めてもらいたいなどの想念は、「我意識」から出てくるもので、この「我意識」には物が存在します。懺悔と反省の心には物が存在しません。自意識が消える。これが「純粋意識」なのです。
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まずはイーベイで月5万円!育児・家事で忙しい主婦でもできる副収入の作り方
今までお話ししたように気功は奥が深いものです。
でもこの方法で気功の効果が解ります。
タバコを吸われる方がおられたら一本いただいて、
それを掌の中に軽く握って包み、タバコに気を送ります。
数秒でOKです。
さあそのタバコを持ち主に返し、吸っていただきましょう。
あなたの気功が成功したならきっとこう言う筈です。
「ま、まずい!」「気が抜けてる!」とね。
コップに注いだビールでやっても同じです。
もし味が変わっていなかったら、その時は失敗ですね。
才能がある人は決して驕ってはいけません。
あくまでこれは初歩の初歩、まだ入り口です。
また失敗した人も諦めることはありません。
気功は訓練することにより上達するのですから。
それには太極拳が一番よいみたいです。
まずは健全な精神と体ですね。(これが一番重要!)
大いに鍛えてください。お金に変えられない「徳」がありますよ。
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気功実践その2←ご興味のある方はどうぞ!
ある夜遅く(午前12~1時頃)一人でお寺に居るとまだ若い信者さんが尋ねてきました。彼女とドライブの帰りだということで立ち寄ったらしいのです。彼が私に「○○さんお願いがあるんですが良いですか?」と言うのです。私が「どうしたんですか?」と聞くと、「実は気功の練習をしていて、そうしたら彼女気が抜けてしまったみたいなんです。」なるほど、見ると完全に放心状態でした。「お不動様の気を送って貰えませんか?」と言うので、「送っても良いけど、先生(ご住職)に許可を貰わんとされんのだけど・・・」そう言うと、「ご住職に内緒でお願いします。」「お願いします!」と懇願され、仕方なしに人助けだから良いかと自分で納得し、彼女にお不動様の気を送ることにしました。
まずお不動様にお願いをし、それから彼女に横になって貰い、目を閉じてリラックスするように言ってから気を送りました。自分の気じゃなくお不動様の気を中継して送るわけだから、それはパワーが違います。彼女の頭の方から送ってゆき、徐々に下のほうに送ってゆきます。自分でもびっくりする位のパワーでした。気が当たる所が全て反応し、皮膚や関節がピクピク動くのです。気を送っている本人が信じられないくらいの不思議な光景でした。(後から思うに、まるで漫画の「ドラゴンボール」の孫悟空が使うカメハメ波みたいでしたかな・・・)
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それからちょっと休んだあと、彼らは何事も無く帰って行きました。そして、私が後で先生に叱られたことは言うまでもありません。何故むやみに気功を使ったらいけないのか?それは初心者の内は気をコントロール出来ないからです。例えば気を送る場合、送るときに自分の気だけを送ってしまうわけです。どういう事かと言いますと、外気功の場合はあくまで自分は気の中継者でなければいけません。それをコントロール出来ない人がやると、自分の気が出て行くばかりで止めれないものだからまるで気が抜けてしまい、放心状態となり危険な状況になってしまうのである。決して遊びや興味半分でやらないで下さい。取り返しのつかない事になる場合がありますので・・・(今回はここまで)念のため、こちらも参照して見て下さい。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にて「気」で検索)一応参考までに・・・。
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気功実践に於ける経緯
心王山殊勝院・京善寺のお不動様 さて前回述べましたように、今は亡き先生から外気功を止められていた私ですが、何故かと言うと、おそらく私自身すぐ有頂天になるところが御座いまして、それで使わないようにとの戒めのお言葉だったのでしょう。真言密教の御住職だった先生は苦行を積まれ、大空位と言う悟りを開かれました。私のような凡人にはとても垣間見れるような世界ではありませんが、先生には全てがお見通しだったのです。
それにしてもお不動様の力は物凄いです。修行を重ねるうちにだんだんとそれが感じられるようになってくるのです。おかげで人の気と言うか念がはっきり読み取れるようになり、自分ながらに恐いと思ったこともありました。そしてこのことも分りました。仏様の気は温かいということ、それに引きかえ邪気は冷たいと言うことも・・・。よく言いますよね。恐い話をするときに寒気がするとか、冷たい視線を浴びるとか、これらはいずれも邪気、邪霊のなせる仕業なのです。私はこんなことがよくありました。人ごみの中でいきなり首筋がゾックっとして振り返ると、以前の私に対し恨みを持っていた人が私の方を見て睨んでいたのです。それを見て二度ゾクッとしました。(笑い)
それでは気功実践その1というのは、母が病院に入院中のことですが、四人部屋で隣のベッドの女性(高齢の方)が食事中に食べ物を喉に詰まらせ、医師や看護婦さんたちが右往左往していまして処置に困っていました。私も何とかしてあげたいと思ったのですが、医師や看護婦さんの前で気功を使うのはまずいと思い、躊躇いながら傍観していました。しばらくすると対策を考えるべく全員が部屋を出たので、ここぞとばかりに「△△さん私がお手伝いさせて頂きます。私を信用していただけますか?」と言うと、手を合わせてうなずいてくれたので早速外気功を使いました。すると詰まっていた食べ物がスルスルっと下がっていくのが分り、△△さんは何度も手を合わせ頭を下げてくれたのです。それから2~3分ほどして医師や看護婦さんたちが戻って来たのですが、皆キョトンとして不思議そうに顔を見合わせていました。私はそ知らぬふりをして笑いを我慢していたことを今でも思い出します。(気功実践その2は次回です。)
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気功とは?
気功には内気功と外気功があります。
そもそも気功とは何ぞや?と思われる方が多いかと思われますが、訳かりやすく言えば、気功とは自分の内に秘めるエネルギーでもって、自分或いは他の人に伝え、体の不調なところを善くする術であります。気功のレベルアップしたのが仏教で言われるところの「法力」なのです。
只、この気功は厄介なところがあり、ひとつ間違えれば大変なことになります。そのため、余程修行された精神健全な人でなければこの気功は使ってはならないのです。何故ならと言いますと、気功を使う際に少しでも心に迷い等がありますとそれがもろに相手に伝わってしまい、普通の人ではどうしようもなくなるからです。絶対に「邪気」があってはなりません。
普通、気功を使えるようになるには太極拳などを修練し、何年もかかると言われていますが、人によっては一週間もかからずに出来るようになる人も居ます。しかし、そのきっかけとなる手ほどきは必要ですね。おかげで私はすぐに気が分かる様になり、人助けが出来る様になりました。でも、まだまだ未熟で精神の鍛錬が足りません。だから、今現在修行中なのであります。「十善戒」を基本に日々過しています。(十善戒とは、「不殺生」・「不偸盗」・「不邪淫」・「不妄語」・「不綺後」・「不悪口」・「不両舌」・「不慳貪」・「不瞋恚」・「不邪見」です。)
「内気功」とは、転んだりして痛いところに思わず手が行くってことがあると思いますが、これが内気功です。それと違い、距離を置くのが「外気功」です。
これで気功がどんなものなのかお解かりいただけたかと思いますが、それでは私の体験談をお話ししましょう。
何故私が気功に目覚めたかというと、今より二十年程前のことですが、私の母が「喉頭癌」と「食道癌」を患い、手術してから十九年程経っていました。病院に入院していたのですが、その頃は食事も出来ず、点滴とチューブによる栄養補給が主で、看ているほうも辛いものでしたが本人はもっと辛かったでしょう。先生や看護婦さん達の温かい看護には感謝しております。でも喉頭の無い本人にとって会話と言えば筆談、もしくは人口喉頭という器具。どうしても意思の伝達に不具合があるものだから、そのため私は完全に仕事を辞め、看病に勤しんでいました。親が食事出来ないのに息子が食事出来るものかということで、私も一日一膳にしていましてガリガリに痩せていました。母は私の顔を見るたびにジェスチャーと筆談で、「ご飯はちゃんと食べていますか?」と聞くのです。自分は食事出来ないのに、それでも息子のことを心配してくれる。有り難いものでした。寝たきり状態だったため、排便のことを看護婦さんに伝えてもなかなか来てくれないことが多かったので、オムツ交換もずいぶんとしました。いろいろありましたが、母にとっても私にとってもまさに生き地獄でした。それ故自暴自棄に陥り、気が荒れてしまい病院以外の所ではよく人と喧嘩していました。神様さえ呪っていました。そんな折ある用事でお寺へ行くこととなり、そこで私の大恩人に出会ったのです。この先生に出会っていなかったら今の私は無いと言うより、おそらく何処かで殺されていたことでしょう。まさに命の恩人なのです。
先生に会うまではいろいろとモヤモヤした感じの重たいものが私に圧し掛かっていたのですが、先生に会った瞬間「パッ」と消えてしまったのです。不思議なくらい身も軽くなり、どんどん心が癒され素直になっていくのが解りました。その日から間もなく私は先生にお願いしたのです。「先生、弟子にしてください。」「お願いします。」・・・先生はしばらく無言のまま・・・そして、「内弟子ということで来なさい。」「有り難うございます!」それからというもの私は暇が有ればお寺へ行き、まず内外の掃除などを済ませ、それからいろいろと勉強するようになりました。夜は毎日十一時くらいまで兄弟子たちと会話していました。この兄弟子の一人が気功師で、整体師だったのです。
ある縁日のとき、兄弟子の指導で気の勉強をするべく信者さんたちと手を繋ぎ、丸く輪になってイメージで気を回すことになったのです。何度かやった後、兄弟子が私の所にあわてて来て、「○○さん、もう一度やって貰えますか。」と言って、兄弟子と二人で組んでイメージすることになったのです。私はすぐさまイメージしました。すると兄弟子はすぐに手を外し、「す、凄い!」と感嘆の声を上げたのです。それ以来気功の練習もするようになったが、先生から「あんたは外気功を使ったらいかん。」と、止められていました。でも何度か内緒で使ったら全てお見通しで、あとからきつく叱られたこともありました。(今回はここまで・・・)
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「今日からは、私が過去に体験してきた摩可不思議な現象を書き綴っていこうと思います。」
[UFO] 突然こんな記事を書いて、頭おかしくなったんじゃない?」って思わないでください。実は急に昔のことを思い出したものだから、忘れないうちにと思い書き込んでいる次第です。今から5年程前だったと思うのですが、それは深夜のドライブ帰りにはっきりみました。夜が明けてだんだんと太陽が日を差し始め、山々が輝き始める時の事でした。人気のない、全く車も通らない林道を走っていたときのことです。杉か桧だと思うのですが、その合間から何か白っぽく目に入るものがありました。何だろう?と思いそちらに目を向けると、頭がシャキーン!ゆゆUFO!本当にUFOってあったんだ。山の中腹ぐらいに静止して浮いている。朝日に輝き鉛色というか、アルミ色と言う感じではっきり見える。木々の合間から見え隠れしている。急いで広い場所に行き、車を止めてよく見よう。とあせったのだが、車を止めて山の中腹を見たらもうそこにUFOはなかった。そばにビデオカメラがあることさえも忘れ、ただ見たいの一心で・・・だから証拠の写真が無い。しばらくは悔やまれた。 私の趣味はバイクだったのでよくその現場を通ることが多かった(私のホームコースってところかな。)が、二度とUFOを見ることは無かった。 (俗に言うアダムスキー型)
脚を細くすることだったら簡単!■エステに行く必要のなくなる脚やせ法■著書:小林弘美
[ カモノハシ]
UFOにひき続き、今度はカモノハシのお話です。だんだん話がエスカレートするんじゃないかって、いいえ実際にあった私の体験談です。かって私は渓流釣りが大好きで、あちらこちらの山奥には入っては釣りを楽しんでいました。大体前の夜に入山して車の中で一夜を明かし、まだ薄暗い時間から釣りを始めていました。そんなある夏時分の頃、山女魚の食いがわるくなったので、餌(瀬虫=クロカワ虫など)を獲ろうと川の中の石を裏返しては虫を探していた時です。なにかもぐらみたいなのが私の足元から前に出てきて水中の虫を捕食しているのです。何だろう?と思い顔を近づけてみると、なんと!それは図鑑などでよく見る動物だったのです。鼻がしゃもじみたいになってて、手足には水かきが付いて尻尾はへらみたいになったあのカモノハシそのものだったのです。でもカモノハシってこんなに小さかったっけ?疑心のまましばらくはそのかわいい小動物に見入ってしまった。やがて水面の反射に見えなくなり、私の前から消えて行ってしまいました。・・・その渓流も今ではダムの底になってしまいました。残念ながらこの事も証拠写真が無いのである。どなたか詳しい情報知ってたら教えてください。私も場所の情報を提供します。
[大蛇] UFO、カモノハシ、そして大蛇と続きますが、へびなんて動物園に行けばいつでも見られるなんて言わないで、まあ私の話も聞いてください。これもやはり渓流釣りのときの事です。この時は車は使わず、朝遅くなったのでバイクで出かけました。よく通うマイフィールドに近づき胸がわくわくしてきました。幅3mの林道を走っていると、突然道を塞ぐかのように丸太棒が横たわっているのです。よく山の中にある椎茸の「ほだぎ」みたいだったので、誰がこんな悪さするんだろうと思い近づいて見ると、なんとその丸太棒が右から左に移動しているのです。???なにこれ?4~5m離れて見ていたのでとっさには訳がわからず、やがて尻尾が右から左に消えて行く段階でへ、へび、お、大蛇だあ!!! でも不思議と恐怖心は無かった。しばらくは余韻を楽しんでいたみたい、だって滅多に見れるものではないから・・・。それにしても凄く大きいなあ、長さもかなりのものだ。太さは5合瓶位はよくあったし、ながさは6~7mは充分にあったと思う。 幼い頃父親たちがよく大蛇の話をしていて、子供心に「おおげさやー、そんなに大きいのが日本にいるわけないじゃん。」といつも思っていた。それが本当に居たから恐怖というよりも感激したのだ。 それにしても、私はよく色んな珍しい物を見かける人間だと自分でも感心しています。
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